きのう、ユーチューブで、ペンキ画家のショーゲンさんの動画にぶち当たった。
心にバシバシと突き刺さる。
ショーゲンさんが、ペンキアート「ティンガティンガ」を勉強しに滞在したタンザニアのブンジュ村で出会った村長さんや村人たちから聞いた話です。
村長さんのお爺さん、ひいおじいさんは?、シャーマンで、日本人から学んだという。ブンジュ村に行った日本人はショーゲンが初めてなのに。どうもその日本人は縄文時代の人らしい。村長が伝えてほしいというお話を、ショーゲンさんは、今、日本人に伝えている。
私にも、伝わった。
私も、誰かに伝えたい。だから、痛い所突かれたという所を書く。興味をもってくれた人は、ユーチューブでショーゲンさんの動画を見てほしい。
「食事が作業になっている」。
2日前の夕飯、何食べたか覚えてますか?
何を食べたかも覚えてない。一緒に食べた人がどんな様子だったかも、何を話したかも、どんな味がしたかも覚えてない。「食事が作業になってる」
食事が作業になっているなら、他の行動も作業になっている。
私の人生は、作業になっている~~。これじゃあ、いかん。
夕飯を食べながら、「今、8時過ぎだから、8時半までにご飯を終わって、10分タイマーかけていぬ君と遊んで、10タイマーかけて掃除して、なんとしても、9時過ぎには、お風呂に入って、そのあと、あれとあれとあれをしなくてはならん。」とか寝るまでの時間をいかに効率的に物事を終わらせるかを考えてしまう。
さらに、私は、ご飯どうでも良かった。お腹がすかなければ、サプリだけで生きたいくらいだった。面倒だった。グルメじゃないし。
でも、最近、食事を大事にしようと思い始めていた頃だったので心に突き刺さった。
「自分を大事にして心の余裕を持ては、人と比較したりして自分をいじめることはない」--「空を見よ」。
実家のある地方に帰ると、時間がゆっくり流れる、なぜだろう?とずっと思っていて、「空が見えるかどうか」じゃないだろうかと思っていた。実家のある地方では、空が見える。なぜか、空を感じる。空が見えるか見えないかで、「時間の流れの速さが違うのではないか」と思っていた。
「空が見える」かじゃなくて、「空を見る」だったんだ。心の余裕があると時間がゆっくり流れるんだ。
今の生活を考えると、朝は、空を見上げる時間なんて、「ない」。昼休み、散歩するけど、空見上げない。空より、人にぶつからんように歩かんといけん。帰り、「空見上げる時間ない」。いぬ君の散歩のとき、空をみあげることはある。
今年の初夏、ベランダで、夕方、ワインを飲みながら、空を眺めた事があった。その時思ったんだ。こんなにゆっくり空を眺めたのは小学校以来じゃないかぐらいに思った。なぜか涙がでた。
「心の余裕」欲しい。まずは、空をみあげることから始めようと思った。
最後に、「諦める」って素敵な事なんだよ。 真の休息なんだよ。
ブンジュ村では、停電がある。その時までやっていたことが、できなくなる、諦める。でも、そしたら、家族で、お話ができる。素敵なことでしょう。
「諦めたらそこでおしまい」「諦めたらいけん」と思って、やってきたけど、今、もう「頑張るのはおしまいにしよう」と思っているが、どうしても頑張っちゃう。
「人生、自分の思い通りにはいかんけど、諦めたらいいやん」
執着していることを諦めたら、そこに休息や心の平安がある。
「色即是空」
小林正観さんのお話で「自分の人生のシナリオは、自分で書いてきたこと。ここでこの選択をしたからとか、頑張らなかったから、こうなったわけじゃない。初めから、自分でそうなるとシナリオで書いてきた」といのがある。私はこれで救われていた。
今考えると、正観さんが言いたかったのは、人、其々、できること、できないこと、天分がある。天分を超えることはできないから、自分をせめるなと言いたかったんじゃなかろうか。
いいお話、ショーゲンさん、ありがとう。
感謝のお話もあったね、これを読んでくれた人、ぜひぜひ、ショーゲンさんの動画をみてください。
私は、私の身近な人にお話しします。その中の一人でも、心のどこかのすみっこにひかかってくれればいいな。