mipo_rinのありがとう

もうすぐ還暦の生涯1人の私が60歳定年を目指してやっている事

50代の片付けは、これまでの人生の決着をつける一つの方法

お家時間有効活用のために始めた片付け生活も、もう2年になろうとしています。

よく続いたものだ。捨てれないので、ここまで長引いてるんですけど。

大分手放してますが

まだ心と頭の中で「もぞもぞ」するものがあります。

捨てたいのに手放せない物があるからだけでなく、他になにかがあるような気がしていました。

はづき虹映さんの「すごい片付け」という本を読みました。片付けは、物という形をとおいして、人生に片を付ける。決着を付けることだと書いています。

片付いてないというこの「もぞもぞ感」は、人生に片を付けてないからじゃないかとハットしました。私は、まだ子供でいたい、まだ年寄りになりたくないという気持ちに決着をつけなければならんと思ったのです。

それに気づかせてくれたのは、母が刺繍した少女のTシャツと、壁掛けです。

少女の刺繍の白いTシャツーそれは私が高校生の旅行の時に、母が刺繍をしてくれた物でした。高校生の私は、普通にお店で自分で選んで買いたかったのに、母が刺繍をしてくれたTシャツを差し出されたのです。もちろん、着ていきましたが、それからは箪笥に仕舞ったままで、最近、免罪符のように、ひと夏に一回着ていました。それは、手放すリストには入らない物でした。

もう一つは、少女の刺繍の壁掛けです。18年程廊下の壁にかけていました。

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f:id:mipo_rin:20220704080022j:image廊下の壁をリメイクペイントしたときにはずして良くみてみたら、茶色いしみも付いてしまっていて、かける気持ちになれないので外して、納戸にしまっていました。その時、「捨てよう」とは思わなかった。

母が私にこれまで送ってきた引き出物やお返しの食器、タオル、ブランケット、エプロンは、この片付けで好きじゃなかった物は処分しました。

でも、少女の図柄の刺繍は、好きじゃなかったのに、処分対象じゃなかった。

好きじゃないのに、処分対象じゃなかったのは、少女の時代のままでいたい、親の庇護の元にいたい、親の言う通りしておけばいいという気持ちがあるのではないかと。私は、アラ還で母は認知症なのに、笑ってしまいます。

今週は、この2つを手放してみました。

 

片付けして、ホント良かったです。

子供の私に気づけて良かった。